地球最期の日252008年01月14日 11時19分56秒

第十章



 リュドミラが日本にいる間、FBIとCIAはアメリカ合衆国と世界をすんでのところで地獄に落とす、この状況を作った犯人を見つけるべく必死の捜査を進めていた。状況証拠は、このエボラ大腸菌散布の犯人はバクダッド共和国であることを示している。FBIは国内に潜むバクダッド共和国の破壊活動エージェントの捜査を全力を挙げて進めていた。しかし、それは容易なことではない。移民帰化局の膨大な外国人入国者データベースからバクダッド共和国のパスポート所持者、バクダッド共和国人が国籍を偽っても不自然でないアラブの国々のパスポート所持者を個々に洗っていくのは事実上不可能である。アラブ人は合衆国に何百万人いるか、考えただけでも無理筋である。

「おい、チャールズ、こりゃ無理だぜ。アラブ人を片っ端から調べるなんて、このリスト見てくれよ」

 ジェームズ・キャロルFBI特別捜査官は、デスクの上のパソコン端末を見ながらわめいた。FBIのパソコンはネットワークを通して、移民帰化局の外国人入国者データベースに直接にアクセスできる。あの二000年九月十一日の貿易センタービルへのテロ事件を契機に、FBI、CIAの捜査当局と移民帰化局の外国人入国者データベースが統合されていた。

「そんなこと、わざわざデータベースなんかみなくったって分かっていることだろ。アラブ人など街で毎日いやというほどみているじゃないか」
「まあね。それでも実際に確かめたかったのさ。実施検分は捜査の基本だからな」

 結局、彼らは移民帰化局の外国人入国者データベースに登録されているアラブ人をすべて洗うことは諦めた。あまり期待できないがバクダッド共和国と以前のフセイン・イラク共和国からの入国者に絞った。外交官、留学生が主体になる。しかし、彼らは厳重に監視されていた。留学生はかつてはFビザで入ってしまえば学校などに行かないでそのまま不法残留していた。ナイン・イレブンの貿易センタービルテロ事件以来、Fビザの学生は定期的に学校に出ているかどうかチェックされるようになった。しかし、最初から不法残留を意図しているなら入国と同時に行方をくらませてしまえばそれだけのことである。

 チャールズとジェームズはそのようなバクダッド共和国人の追跡調査を始めた。その結果、十六人のバクダッド共和国人が入国後、消えていることが分かった。移民帰化局には写真も登録されていた。しかし、彼らはすべて、バイオ・メトリクス認証対応のパスポートが要求される以前に入国していた。もう、相当長い間、合衆国に住み、陰のように溶け込んでいる。

「写真は手に入るが、これが本物かどうかは怪しいものだ。アラブ人の顔なんてみな同じにみえるからな。奴らはナイン・イレブンのずっと以前に入国している。フセイン政権の時からだな。そのまま今のバクダッド共和国のエージェントになっているんだろう」
「フセインが倒れた時にやめたんじゃないのか」
 チャールズが疑問をはさんだ。
「いや、それじゃ食えなくなる。それに、彼らにとっては政権以上にアラブ・テロリストとしてのアイデンティティが大きいさ」
「その十六人を洗うか?」
「無理だろう。地下に潜っているさ。まじめに大学でお勉強しているはずがない。もう、いいおっさんになってるしな」
「そうだなあ。じゃあ、一応、この写真をあちこちのFBI支局に送って手配するだけはしておくかな」
 ジェームズはデータ・ベースで彼らの写真を見ながら言った。
「そうしよう。我々は、ワシントンDC周りのスーパをあたろう。一年前のビデオが残っているとは思えないけどな」

 チャールズ・ブルーム、ジェームズ・キャロルの二人のFBI特別捜査官は、スーパーの監視カメラに映っている不審人物がいないか、それから手をつけることにした。世界最大のスーパーマーケット、ウォルマートに協力を要請した。過去、一年以内の食品売り場を監視しているビデオ映像を片っ端から調べるのだ。彼らは手近なウォルマートを訪問した。買い物時間から外れているので店内は空いていた。近くの端のレジで暇そうにしている女の子にチャールズは声をかけた。

「やあ。今日は。店長室はどこ?」
「いらっしゃいませ。店長室なら、そこですけど」
 女の子の指す方向にドアがあった。
「ありがとう」
 二人は店長室に向かう。

 しかし、そこで分かったことは、案の定、テープは多くても数日分しかないことだった。同じテープを上書きして使いまわしているのだ。それはそうだろう。広い店内のあちこちにある監視カメラから吐き出されてくる毎日の映像を全部、テープに貯めていたら商品を置く場所がなくなりそうだ。

 それでも、二人は根気にワシントンDC周辺のスーパを廻って歩いた。しかし、過去一年のテープなどはどこも取っているところはなかった。もう、七時だ。日はとっくに暮れている。二人はFBIワシントンDC支局に戻って今日の記録を纏めると、それぞれに家路についた。

 ジェームズは帰りがけにいつものスーパに寄った。ふと、その中規模のスーパにも監視カメラがあることに気がついた。期待はできないが、ダメ元でやってみよう。彼はレジを済ませると、係りの女の子に訊いた。名は知らないが、もう顔なじみになっている。

「今晩は、店長室、どこだったっけ?」
「その野菜売り場の奥よ」
 そばかすを少し目の周りに散らした可愛いレジ係りは指差して教えた。
「ありがとう」
 ジェームズは手を振って店長室に向った。
 店長は若かった。ジェームズと同じ世代だろう。
「今日は。私はFBI特別捜査官ジェームズ・キャロルという者です」

 ジェームズはそういいながらFBIの身分証を胸ポケットから取り出して見せた。店長は驚いた。こんななんでもないスーパにFBIが来るなんて前代未聞のことだ。アル・カポネのような凶悪なギャングか、ナイン・イレブン・テロの犯人なんか、匿った覚えはないぞと思った。

「店長のダンです」
 店長はそう言いながら手を差し出した。軽く握手を交わす。
「つかぬことをお聞きしますが、おたくは監視カメラを付けておいでですね?」
 それが何か連邦捜査局が出てこないといけない程の大きな罪になるのかと、ダンは怖気づいた。最近はプライバシーとやらがやたらとうるさい。が、ウォルマートにも監視カメラがあることをすぐに思い出して安心した。
「はあ、付けていますが」
「そのテープは何日分くらい残しておられますか?」
「テープですか?そうですねえ、使いまわしていますから、三、四日というところですか」
「やはり、そうですか」
「ええ、でないと、店長室はビデオテープに占領されてしまいますよ」
 ダンは笑いながら言った。
「ありがとうございました。お手間をとらせました。いや、僕はいつも仕事の帰りにこの店を使わせてもらっているんですよ。それで、今日もカメラのことを思い出しましてね。昔の映像が残っていないかと思ったんです」
 ジェームズの口調が、仕事から離れてくだけた調子になった。
「昔の映像ですか?それならありますよ」
「えっ、さっき、三、四日だと」
「それはテープでしょ。パソコンのハードディスクの中には、もう、そうですねかれこれ二、三年分くらいあるんじゃないかな。映像をキャプチャしてあるんです」
 ジェームズは、イェール大学のコンピュータ・サイエンス出身だ。IT用語の意味などすぐに分かった。

「MPEG2くらいで圧縮してあるんですか?」

 ITの連中は変な言葉を発明するのが好きなのだ。素人と差を付けたいのだろうか。どうして、「キャプチャー」などといわずに、「録画」と素直にいえないのだろう?などと言えば、あの連中は唾を飛ばして、「キャプチャー」と「録画」の違いを半日は論じるに決まっている。その理由たるや、「白馬は馬でない」式の重箱の隅を爪楊枝でほじくるような論理なのだ。ジェームズは自分も身を置いていた世界なので、そういう時には相手に楯突かず、にっこり笑っていたほうが良いことを心得ている。「MPEG2」を口にしたのは、ちょっとだけ、自分には分かっているんだと、かませただけのことである。

「いえ、エム・ペグ・ツーでは圧縮率が低いので、すぐにディスクが一杯になってしまいます。ぼくは、DivXにしています」

 今度は、さすがにジェームズも沈黙した。DivXが何だか分からなかったからだ。IT業界はドッグ・イヤーと呼ばれる速度で動いている。犬は人間の七倍の速度で歳をとるが、IT業界の一年は一般世界の七年分だと言うことである。ジェームズは[ここのところ忙しくてコンプ・USAにご無沙汰してるからな。毎週行っていないと時代遅れになっちゃうよ]とみずからに言い訳をした。

「その、ディブ・エクスって何でしたっけ?」
 素直に負けを認めた。
「ああ、MPEG2の後継フォーマットですよ。MPEG2は映像を四十倍に圧縮しますが、僕はDivXで三百倍に圧縮しているのです。それから、動きがない場面はお客さんがいないということですから、ソフトで自動的に落としているのです。ので、二年分の映像でも、一テラバイトはかかっていませんね。ごらんになります?」
「ええ、是非」

 三百倍の圧縮というのは、VHSの三倍モードと同じようなもので、言ってみたら三百倍モードだ。三百倍に圧縮すると同じハードディスクに三百倍の時間、録画できるということである。ただし、三年分の映像を見るには三年かかる。そこは変わらない。速送りにして見ないとやってられない。
 ダンは、何台もある中から一台のパソコンの電源を入れた。
「DivXは僕の趣味なんです。何かの役に立たないかと、たまたま思いついてこういうことを始めたのです。このパソコンには一年前の映像が入っています。こっちの今、動いているのが、稼動中のものです」

 パソコンが起動した。ダンはデスクトップにあるDivXプレイヤーのアイコンをダブルクリックした。ウィンドウズのメディア・プレイヤーより格好良い。しばらくすると、映像が現れる。あまり綺麗ではない。五回ぐらいダビングを重ねたVHSのテープのようによれよれだ。

「なにしろ、三百倍に圧縮していますからあまり綺麗ではないのですが、監視にはこれで十分なのです」
 店内に沢山の人が行き来している様子が映し出されている。
「これ、お借りできませんか?過去一年分で結構ですから」
「ええ、構いませんが、ディスクを外付けにしていないのでこのままお持ちになりますか?」
 そのパソコンは百科事典ほどの大きさのデスクトップ型である。小脇に抱えて持っていける。液晶やキーボードは自分の物を使うから本体だけ借りていけば良い。
「ええ。そうさせてもらいます。じゃあ、借用書を書きます」
「大丈夫ですよ。あなたを信じましょう。ジェームズさんですね」
「そうですか。それはありがとうございます」
「それから、そのパソコンに入っている映像は三ヶ月前までです。最近三ヶ月分が入用でしたら、こちらから抜いておきますが」
 ダンは稼動中のパソコンを示した。
「それはお手数かけます。よろしくお願いします」

 ジェームズはホクホクの顔でパソコンを抱えてそのスーパを後にし、今帰ってきたばかりのFBI支局に戻って行った。彼は、今夜徹夜でその映像をみるつもりだった。速送りすれば、一晩で二週間か三週間分くらいは見られるだろう。挙動不審なアラブ人を見つければいいだけだから。そんなに集中して見ていないといけないわけではない。簡単なことだと思った。

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