小説; 神への挑戦 212007年07月01日 12時09分09秒



 食事を終えて、辻は奥平家を辞した。左也佳が送っていく。夜道であるがこのあたりは安全だし、まだ、そんなに時間も遅くはない。夏なのでまだ、薄明るい。辻は左也佳の申し出を断らなかった。辻には左也佳と二人だけで話さなければならないことがあったからだ。駅への道すがら、辻は言った。
「奥さん、祐介君にはありのままを話しませんか?彼が京介だとしたら、そのほうが最終的には良い結果になると思うのです。以前は、告知はしないほうが良いと思いましたが、彼がここまで認識を深めていては、かえってそれは彼を苦しませることになると、かっての京介を思い出して私はそのように結論したのです。どうでしょうか」
左也佳は思わぬ方針転換に驚き立ち止まって辻をみた。
「祐介はそれで納得するでしょうか」
「左也佳さん、京介ならどうでしょうか?理由もわからず死に直面しているよりも明確な理由がわかった方が納得するのではないかと思いませんか。理由を知って僕達を恨むのなら恨まれてもしかたありませんが、京介も祐介君も人を恨むという心は持っていない人間だと僕は思います。恨むというような心の働きが起こるのであれば、それは祐介君にとっても不幸なことですが、彼はそうはしないでしょう。あるがままを受け入れると思います。」
ここで辻は一旦、言葉を切り、思い切ったように言った。
「祐介君は、実は自分が左也佳さんに似ていないことに気がついています」
左也佳は思わず辻をふり仰いだ。
辻は言葉を続けた。
「普通の親子でも似ていない事はありますが,それとは違うらしいと気がついています」
「祐介がそう言ったのでしょうか?」
「ええ、左也佳さんがいる前では言えなかったようですが。」
「それで・・・」
「僕は、親子でもそれは珍しいことじゃないと説明はしましたが、納得していないようでした。おそらく、京介の二八歳の写真と自分を比べて年齢差から想定される違い以上にはるかに京介に似ているということをおかしいと思っているのでしょう」
「祐介は気がついているのでしょうか?」
「そうだと思いますね。だからこそ、彼もあまりそれには触れたくなかったのでしょう。その話はそれで打ち切ってしまいましたからね。分かっていることで、僕達を困らせてもしかたがないというふうにもみえました。少なくとも、僕が彼にした説明よりもっとはるかに合理的で説得性のある理由を僕に期待したのでしょうね。彼も、左也佳さんがひょっとしたら実の母ではないとは思いたくないはずですから。でも、僕は無力でした。なんら彼が期待するような説明はできなかったのです。」
「そうですか。祐介は気づいているのですね。」
左也佳は自分に言い聞かせるように低い声でつぶやいた。
「それで、祐介に打ち明けた方がいいのでしょうか?」
「祐介君は心の広い、優しい子です。そして何よりも頭がいい。打ち明ければ自分の運命を理解し、受け入れると思います。そうしたほうが良いと僕は思っています。」
二人は、夜道を再び奥平の家へと戻りはじめた。

 二人がそろって戻ってきたのに左也佳の母は驚いた。
祐介は自室に戻っていたが、玄関の話し声を聞きつけたのか、リビングに戻ってきた。
「どうしたの?お母さん」
「あなたにね、少しお話しがあるの。それで・・・」
左也佳は言いよどんだ。辻が後を引き受ける。
「祐介君。僕から話しましょう」
「どんなことでしょうか?」
「じゃあ、リビングで」左也佳の母が言う。四人はリビングに移った。
「さっきの話なんだけど。祐介君がお父さんにすごく似ていて、お母さんにあまり似ていないという」
「はい」
母の前ではあったが、祐介は動じなかった。辻に話した以上、母に伝わるのは覚悟の上であった。
「祐介君は、お母さんのお腹から生まれてきた。十月十日の間お母さんのお腹の中で育ち、そして生まれてきたのだよ。そして、十六歳の今までお母さんは君にすべての愛を注ぎ、慈しんで育ててきた。まったくの親子なのだよ」
「はい。分かっています」
左也佳は下を向いて溢れてくる涙をそっとハンカチでぬぐっている。
辻は話を続けた。
「祐介君のお父さんをお母さんは非常に愛していた。お母さんもお父さんを誰よりも愛していた。二人は誰もがうらやむくらいの仲の良いカップルだった」
祐介は黙って聞いている。
「君のお父さんがお母さんとの結婚の直後、事故で亡くなったのは知っているね」
「はい。そう教えられていますから」
「大学の僕の研究室に遊びに来て、その帰りに交通事故にあったんだよ。多発外傷といって、体中が傷つき、体がその、あまりのショックに生命維持のための対応ができず、僕らの医学でもそれをカバーできなかった。それで手術中に彼は亡くなった」
左也佳は十七年前の出来事が、今、あたかも目の前で起きているかのような思いに捕らわれ涙がとまらなかった。
祐介は、ソファから身をのりだすようにして聞き入っている。
「お母さんはどうしてもお父さんのことが忘れられなかった。他の人との再婚などは考えられなかったんだよ」
祐介はうなずいた。
「祐介君はもう気づいていると思うが、君はそのときお母さんのお腹のなかには居なかった」