地球最期の日72007年12月04日 19時56分53秒

 サンフランシスコ自体は小さな町である。たとえば、関西あたりから「東京」と言うと、神奈川も、千葉も、埼玉まで含めた首都圏を無意識に思い浮かべる。実際、千葉にあるディズニーランドは「東京ディズニーランド」と命名されているし、「新東京国際空港」も千葉にある。だから、その誤解にまんざら根拠がないわけでもない。それと同じで、サンフランシスコの地域を大方の日本人は拡大解釈しているだろう。サンフランシスコそのものは非常に小さな区域で、その周りには、これまた小さな都市群がきびすを接するようにしてひしめいている。

 UCBのあるバークレーもそのような町のひとつである。サンフランシスコからベイブリッジと呼ばれる海にかかる橋を渡って対岸に移ると、バークレーはすぐだ。民家やビルが建ち並ぶ丘の斜面にUCBはある。この町はUCBがある以外は何の変哲もない町なので、日本の観光客は、この地に何かよほどの思い入れがある人でなければわざわざ出かけて行かない。だから普通はベイブリッジを渡る事もない。

 ベイ・ブリッジはサンフランシスコ湾に東西に架かっていて、サンフランシスコの丘の上から高層ビルの谷間に見下ろせる。ユニオンスクエアーから、フィッシャーマンズワーフに向かうケーブルカーからも気をつけていれば見ることができる。丘の上から見下ろす吊り橋はなかなか雄大な光景だ。サンフランシスコには二つの海に架かる橋がある。太平洋からサンフランシスコ湾に入り込む海峡に架かる橋がゴールデンゲートブリッジでこちらの方は観光客にも有名だ。金門橋という和名まである。サンフランシスコからワインで有名なナパにまで足を延ばす観光客は、フェリーでなければ、ゴールデンゲートブリッジを渡っていく。

 今更、サンフランシスコ見物でもないので、京泉はレンタカーを借りるとサンフランシスコ南部に延びるシリコンバレーの大型パソコンショップに向かった。いつものようにフライズや、サーキットシティ、コンプUSAなどを冷やかすつもりだ。特に狙った買い物があるわけではないが、最近のアメリカ合衆国のIT関係の様子を目で確かめたいだけだ。まずは近いところで、パロ・アルトに向かう。空港から南に三十分もかからない。そこにはフライズがある。元気が続けば、更に南下して、サニーベールからミルピタスにも回ろうと京泉は思っている。

 フライズの駐車場に車を入れると、ざっと、一時間ほどかけて店内を廻った。内容的には、秋葉原の中央通りから一本入った狭い通りにひしめく大型店、小型店や、大阪日本橋堺筋の店を廻るのとたいして変わらない。価格は、秋葉原より多少安いものがいくつかある。パソコンそのものだけではなく、周辺につけるさまざまな機器もそうだ。

 京泉は周辺機器の小物を橋田への土産に時々買っていく。日本のような物質文明だけが異常に発達した国では、サンフランシスコに限らず、世界中どこに行っても買うべき土産がない。何を買っても既に日本にあるか、買うに値しない物かのどちらかなのである。ヨーロッパのチョコレートやクッキーなら、近所のスーパで輸入品を買えば済む。

 ある老夫婦が、ロンドンで孫への土産を探しあぐねて、ようやく見つけた面白そうなおもちゃを持ち帰ったら、底に「メイド・イン・ジャパン」と書いてあった。こんな笑い話は日常茶飯事である。酒も煙草もスカーフやネクタイも関税が撤廃された今では土産にはならない。むしろ、こういうパソコン店で、まだ秋葉原には来ていない珍しい、ギミックと呼ばれる小物を買っていった方が、研究室の若い連中は喜ぶ。

 フライズを冷やかして二つ、三つ土産物ができたのでパソコン店は切り上げることにした。フライズを出ると、サンフランシスコからシリコンバレーを縦断するエル・カミノ・リアル通り沿いにあるワインショップに立ち寄る。この、パソコン店からワイン店というコースが京泉のサンフランシスコ周辺におけるルーチンのようになっていた。

 ワインショップは日本より格安のものが結構あるのだが、物が物だけに重くて割れやすい。沢山買い込むというわけにはいかない。ダースの木箱で買ってFedExで送るほどは飲まない。二本ほど、お気に入りのものを買った。甘露なネクターともいえる、フランスはソーテルヌのシャトー・リューセックの貴腐ワインと、ボルドーの絶品の赤、シャトー・ブラネール・デュクリュにした。このワインは、ロアルド・ダールの短編「味」に出てくる、ワイン好きなら知らぬ者の居ないワインだ。二人のワイン・スノブが、一人は自分の若い娘、相手は大邸宅を賭けて、ワインのブラインド・テースティングを行なう物語だ。早い話、007がするように口に含んだだけでワインの銘柄と年代を当てるゲームをするわけだ。ブラネール・デュクリュを手にしながら、[近ごろは、メタリックな映像ばかりで、ああいう味のある映画がなくなったなあ]と、京泉は嘆いた。子供の頃、あの007のかっこよさに憬れて成人して、ワイン好きになったのだった。

「シャトー・ブラネール・デュクリュなんてのはね、ボルドーの中でも知る人も少ない小さな小さなシャトーなんだよ。こんなシャトー、当たるわけがないから心配する必要はないんだよ」
 そう言って、父親は嫌がる娘をなだめ、賭け玉になることを承知させる。

 勝てば相手の大邸宅が二軒転がり込んでくるのだ。しかし、相手はワインを何度も口に運び、そのたびに産地を狭い地域に絞り込んでいく。ボルドー県は当然だ。その中のメドック郡、サンジュリアン村、四級シャトー・・・。あわや、可憐な、まだ二十歳になるかならぬかの令嬢は無理やり醜い中年男に嫁がされる寸前まで行く。

 京泉は、ブラネール・デュクリュのラベルを読みながら、あの物語は、その後どんな筋になっていったっけと思いをめぐらした。思い出せなかった。まあいい。この種の物語で可憐な美女が野獣のような男の餌食になるわけがない。きっとハッピーエンドだろう。

 買い込んだ二本をワインとは分からぬように紙袋に入れて厳重に包装してもらい、大切に助手席に寝かせて、上からジャケットをかけた。車を発進させ、エル・カミノ・リアル通りをサンフランシスコのダウンタウンに向かう。この州では,酒びんを裸のまま,あるいは酒とわかる包装で持ってあるいたり,車の中の見えるところにおくと警察に引っ張られる。酒にだらしない日本とは大違いだ。

 この道の一キロほど東には並行してフリーウェイ101号が走っているが、京泉は味気の無いその自動車道が好きではなかった。ただ、ひたすら早く目的地に着くことだけを目的にした道だ。信号は多いが、しかし、両側には新旧さまざまな建物が並んでいる日本風のこの道が京泉のお気に入りだ。シリコンバレーの風物が満喫できる。途中、道沿いのレストランに立ち寄り、簡単なランチをとった。せっかくカリフォルニアに来たのだから、ジンファンデルのワインを飲みたかったが車の運転をしているのであきらめた。

 このアメリカ産葡萄で作ったブラッシュと呼ばれるロゼ風のワインはフランスのボルドーやブルゴーニュのワイン、あるいは、ここカリフォルニアのフランス風ワインのように濃厚な風味のものではない。日本では品質、味とは関係なく高い値が付いているが、本当は安ワインのボジョレー・ヌーボのようなものだ。しかし、その癖のないジュースのように飲みやすい味が、アルコールに弱い京泉の気に入っていた。ランチにぴったりだ。ブラッシュと言う命名もいい。少女がポーッと恥じらいに染める頬の色、ロゼよりも薄いかすかなピンクだ。こんど、誰かに運転してもらった時に飲もう。

 午後、京泉はシリコンバレーを抜け、サンフランシスコのダウンタウンにあるホテルに入った。シンポジウム事務局がタイアップしているホテルなので格安で泊れる。参加者は大金持ちでもなければ、たいていは、事務局の世話になりこのホテルに泊る。シンポジウム事務局が開いているインターネットのホームページから申し込むだけだ。もっとも、これ以上のホテルはサンフランシスコにはないので、大金持ちでもここに正規料金で泊るだけのことである。

 ホテルのレセプションでカード型のプラスティック製使い捨て電子鍵を受け取ると部屋に向かった。昔の鍵はホテルの住所や名前が書いてあって、うっかり持ち帰った場合、そのまま郵便ポストに放り込めば、そのホテルに戻って行ったものだ。技術が進み、いくらでも簡単に鍵のコピーが取れるような現代では、鍵さえ使い捨ての電子キーにせざるを得ない。味気のないものである。

 電子キーをドアに差し込む。カシャと言ってロックが外れた。アメリカのホテルはどこも部屋が大きい。日本の温泉旅館で家族で泊るような部屋だった。キングベッドが二つ置いてある。スーツケースを解き、衣類をハンガーに掛ける。バスルームで顔を洗うとすっきりして、日本から積もっていた疲れが少し抜けるような気がした。ズボンにカジュアルなシャツにジャケットという軽い服装なので、ジャケットをベッドに放り投げると、そのままもう一つのベッドに横になった。成田を発ってから既に十三時間くらいたっている。京泉は機内ではあまり寝れないたちだ。実際のところ、「たち」もなにも、日本時間では夕方発って、午前0時前後にもうサンフランシスコに着いている。日本にいたらまだ起きている時間だ。そんな宵の口から眠れるわけがないではないか。ホテルに入った今頃になってようやく体内時計も眠る時間になってきた。眠気に身を任せそのまま寝入った。

 一眠りして目が覚めると、外は既に暗い。通りには街路灯の燈が点っていた。車はまだひっきりなしに走っているが、部屋は完全防音なので、外の騒音は入ってこない。空腹感がある。レストランにでも行こうと思った。ベッドから起き出して軽く服装を整え、バスルームで乱れた髪をといた。髭が伸びているが、まあ、いいだろう。少しくらい生えていた方が、歳相応に見られて都合がいい。京泉は、それでなくても本来の三十九の歳より相当に若くみられるのだ。欧米では日本人は若く見られることは日本でも良く知られている。それが嫌で髭を生やす者もいる。三十近くになっていても、童顔で小柄だと高校生に見られたりする。

 京泉の場合、大柄であって、童顔でもないのだが、優しい端整な容貌で肌も綺麗なものだから、二十代にみられる。アメリカ合衆国に来ているから若く見られるのではなく、日本でもそうなのだ。だから、本当のところ、その事をあまり気にはしていない。歳にかこつけたのは、単に髭を剃らなかったことの、自分に対する言い訳だった。だらしのないIT屋じゃないのだと。

 部屋を出てエレベータホールに向かう。先客が一人、ホールでエレベータを待っていた。下りのランプが付いている。同じ方向なのだ。京泉は少し緊張した。向こうも何とはなく緊張しているのがわかる。二人だけでエレベータに乗るのは、この合衆国では気持ちが悪い。エレベータという密室でいつピストルを突きつけられるかわからないからだ。下行きの箱が下りてきた。ドアが開く。若いカップルと初老の男性が一人乗っていた。京泉はほっとして、箱に乗り込んだ。もう一人の男も多分同じ気持ちだろう。

 ロビーに降りると、ホテル内のレストランを探す。すぐに見つかった。アメリカの食べ物はまずいと言われるが、そんなことはない。まずい物もあるが、こういうレストランではまずまずのものを食べさせてくれる。もっとも、財布はそれに比してかなり軽くなる。 京泉は、時に街に出て、日本で言えば牛丼屋のような大衆レストランに入ることがある。サンフランシスコ湾岸高速鉄道BARTのパウエル通り駅のあるビル内に有る店のようなところだ。ここは、いわゆるアメリカの味だった。湯煎にしてある五十センチ角くらいの容器が、ずらりと二十個くらい並んでいて、そこにあらかじめ作ってある料理が大量に入れてある。6ドルポッキリで腹は満ちたが、味は問題外なのだ。日本では見た事もない巨大な野菜がざっくりと切っていろいろ炒めてあるようなものなどが並んでいたが、野菜嫌いの京泉には、これは大敵だった。

 ホテル内のレストランで、ウエイトレスによってうやうやしく運ばれてきた一キロはあろうかというステーキに京泉は挑戦していた。ノートパソコンほどもあると表現されるような、日本人にとっては巨大すぎるステーキだ。もっとも最近のノートパソコンは薄型なので、ステーキの方が厚かったりする。

 そのステーキを頬張りながら見るともなく前方を見ている京泉の視界に、新たな客が入って来た。ウエイターに先導されている。京泉から五メートルくらい離れた斜め前方に座った。妙齢の女性だ。京泉に横顔を見せている。つんと尖った鼻の稜線が綺麗なラインを描いている。豊かな金髪が波打って肩に達していた。

 欧米人であるコーカシアンを日本では白人と呼ぶが、実際の肌の色はそれほど白いわけではない。肌の色にはかなりの幅がある。しかし、今、目の前にいる美女は滑るような白磁の肌だった。黄色人種といわれる日本人にもこういう肌がある。日本人の白い肌は白人一般の白さよりも余程に美しい雪の肌だが、今、目の前にいるこの美女の肌は本当に、白く美しいのだ。その白い肌と競うような白地のフレアスカートのワンピースを着ていた。深紅の小花の模様が一面に散っている。ウエストをベルトで軽くしめているので、横を向いた胸が前に張り出し綺麗な丘の稜線を作っている。眩しいほどだ。

 京泉は髭を剃って来なかったことを今更ながら後悔した。飽かずにその横顔を見詰めていた。意識したわけではない。目がその美しさを楽しんで、無意識のうちに離れないのだ。見つめていることに自分で気が付いていないので、それが失礼な行為だということにも思いが到らなかった。

 京泉は、女性には、俗な言い方で言えば、余りにもてすぎるので、滅多に興味を示さない。彼にも生物のオスとしての本能はあり、その程度には女性に興味はないわけではないが、彼の生い立ちは幼い頃から女性からの求愛で満たされていた。そのため、女性に対して心理的抵抗がある。どちらかというと、女性に対して身構え、逃げの体勢にある。

 その彼が、今、眼前にいる彼女に目を奪われているのだ。
 いきなり彼女がメニューから目を離して京泉の方を向いた。彼の視線を感じたのだろう。非難するかのようなきつい視線だった。綺麗なアーモンド型の切れ長の目をしていた。文字通り青い目だ。京泉と目が合った。その瞬間、彼女の目は少し和んだように見えた。京泉は微かに、するともない会釈をすると、目をステーキに向けた。京泉は彼女に視線を返されるまで自分が彼女を見つめている事に気付いていなかった。

 それ以後、彼はその女性に視線を向けなかった。しかし、もし、京泉が彼女に視線を向けていたら、彼女がこちらを向いて視線を投げかけていたことに気がついたことだろう。運命と言う物は往々にして皮肉なものなのだ。

 京泉は食事を済ますと彼女の脇を通り抜けレストランを出た。彼女はその後姿をナイフとフォークを持ったまま見送っていた。

 部屋に戻ると、京泉は基調講演の最後のリハーサルをした。基調講演の時間はかなり厳密に決まっている。適当にしゃべっているというわけにはいかないのだ。それに合わせてパソコンで作ったどのスライドをどの程度の時間をかけて説明するかを決めなければならない。だから、実際にしゃべってみるのだ。最低二度は実際の時間をかけてやってみなければならない。一時間半の講演のリハーサルには三時間以上かかる。京泉は講演がうまいと定評があるが、人には見えないこのような地道な努力が裏にあるのだ。

 京泉はデスクの前に腰掛けるとパソコンを起動した。プレゼンテーション・ソフトのアイコンをダブルクリックする。

   「ゲノム解読への道  京都大学大学院生命科学研究科  京泉祐介」

 というタイトルが液晶画面に現れた。もちろん、英語だ。ここは司会者が講師紹介をしている間スクリーンに出しておくところだから、講演時間には関係ない。すぐに二ページ目に移る。一スライド、二、三分が聴衆を飽きさせない時間だ。九十分の講演だから、四十枚ほどのスライドを準備していた。京泉は、液晶に現れたスライドを見ながらぶつぶつと明日話すべきことを独り言のようにして、目に見えぬ聴衆相手に講演し始めた。