地球最期の日182007年12月30日 11時35分45秒

 二人の特別捜査官は、生命科学を専攻する分子生物学科の事務室を訪れた。七、八人の事務員が思い思いに仕事をしている。

「すみません」
 チャールズ・ブルーム特別捜査官が入り口で事務員に声をかけた。
「なんでしょうか?」
 中年の女子事務員が立ち上がってやってきた。一メートル九十の長身を見上げる。
「我々はアメリカ合衆国FBIの特別捜査官です。少し調べていることがあるのですが、ご協力願えないでしょうか」
 二人はFBIの身分証明書を提示した。
「どのようなことでしょう?」
「この学科に過去五年間でアラブあるいはアジア人が留学生として滞在したことはありませんか?」
「それはありません」
 事務員は即座に答えた。チャールズは驚いた。これからコンピュータのデータベースで過去に在籍した学生の履歴を長々と調べることになるだろうと思っていたからだ。
「そんなに簡単に分かるものなのですか?留学生の記録を調べるようなことはしないのですか?」
「私は、ここでもう二十年も仕事をしているのです。過去五年の留学生くらい全部頭に入っていますよ」
「そうなのですか」
 二人はがっかりした。結果は一言ではないか。こんな簡単なことなら電話でも済んだ。何もわざわざ大西洋を渡ってくることはなかった。
「ありがとうございました」
 チャールズは事務員にお礼を言った。
「いいえ。お役に立てず残念です」

 事務員は席に戻っていった。
 仕方が無いので、この足でマンチェスター空港に戻り、エディンバラ大学に飛ぼうと振り返った時、ドアを開けて入って来た一人の学生風の男がいた。

 二人は、思わず立ちすくんで彼を見守った。アラブ人だったのだ。彼は学生担当のあの女性と簡単な会話を交わして立ち去っていった。その男がドアの外に出るのを待って、二人はもう一度さっきの女性に問い掛けた。

「今の彼、アラブ人じゃないんですか?」
「ああ、彼、アラブ人ですよ。クエートからやってきているんです」
「さっき、アラブからの留学生はいないといってたけれど・・・。」
「彼は学生じゃないの。留学生じゃないんですよ」
「先生?」
「まさか。あの歳で。彼は研究生なんですよ」
「研究生?留学生とどうちがうんです?」
「研究生って言うのは、大学が入学を許可している学生じゃなくて、教授方が個人的に自分の研究室に知り合いから預かっている研究者なんです。ですから、講義にはでませんし、単位も学位もとりません。私達も学生としての面倒は見ませんから、ここには記録もないんですよ」
「それで、彼らには何のメリットがあるんですか?学位がでないんじゃあ、この大学の卒業生とは名乗れませんよね?」
「ええ、彼らは、もう既に学位は持っているのです。大抵はどこかの大学で大学院を終えて、修士か博士の学位を持っているのです。そういう優秀な人でなければ教授も引き受けませんよ。だって、面倒じゃないですか。彼らは就職しているのですけれど、何か新しい研究を始める時に、その道の権威の教授のところで一年か、二年、勉強していくのですよ。手っ取り早いですからね」
「で、今の彼も?」
「ええ、そうだと思います。具体的には、ここには何の記録もないのでわかりませんけど」

 彼女の説明によれば、大学にいる外国人は、正規の留学生だけではないという。二人は期せずして彼女の講義を聞くことになった。ようやく大学院の構造が少し理解できた。研究者になるのでなければ、学部だけで卒業してしまうから、彼らもこんなことは知らなかった。

 大学は教授の個人的な知人を研究生という名目で預かることがある。この場合、大学が学生としてとっているのではない。彼らは授業料を払わない。その代わりに教授に研究生としての経費を支払う。この金は、教授個人のポケットに入るのではなく教授の研究室の研究費になる。この「研究生」は制度になっていて大学当局が教授の研究室からその研究費の上前をはねる場合もある。制度になっている場合、研究生はほぼ登録されていることもあるから、調べることはたやすいが、そうでない場合、面倒だ。どこに誰がいるのか事務室では把握できないからである。いちいち教授にあたらなければならない。

 捜査は振り出しに戻った。留学生だけではなく、研究生も探すことになった。ユミストには該当者はいなかった。まったく、大学というところは分からない。捜査官達は愚痴をこぼしながらエディンバラは後回しにして、ワシントンDCへの機上の人になった。またも、MITやCMUに行く必要がある。しかし、それにしても捜査は足なのだ。もしユミストに足を運ばず、電話で問い合わせていたら、あのアラブからの研究生に出会うことはなく、この捜査はもっと長引いたか、悪くすると、迷宮に入っていたかもしれない。

 FBI特別捜査官は再度、合衆国各地の大学に飛んだ。その結果、幾つかの大学にアラブからの研究生が来ていたことが判明した。アジア人は更に沢山いた。日本人村ができている大学もあるほどだ。「村」というには大げさだが、一つの大部屋が日本からの研究生だけに割り当てられているほどにいるのである。

 次にしなければならないことは、研究生の身元洗である。今現在の研究生は除外していい。問題は過去にある。捜査官達は丹念に大学を当たり、過去に在籍していた研究生の身元を洗っていった。二週間後、バクダッド共和国出身の人物が捜査線上にあがった。今の所、容疑者はこの人物唯一人だけだった。しかし、彼が問題の技術を持っているかどうかは分からない。バクダッド共和国内でどのような地位の人物かもわからない。次はその捜査が必要となる。

 チャールズとジェームズの二人のFBI特別捜査官はその男の面倒を見ていたMITのショー教授を尋ねた。
「こんにちは」
 チャールズ・ブルーム特別捜査官は研究室の入り口近くの机に座っていた若い女性に声をかけた。教授秘書だろうか?十畳くらいのその部屋には机が四つほどあちこちの方向に向いて置いてあり何人かの女性がそれぞれに仕事をしていた。
「はい」
 その女性は立ち上がって、開いたままのドアのところにやってきた。
「われわれはFBI特別捜査官です。ショー教授にお目にかかりたいのですが。過去にここに在籍していた研究生の捜査をしているのです。」
 チャールズ・ブルームは身分証明を示しながら訊ねた。
「はい。しばらくお待ちください」
 秘書は奥の部屋に入っていった。しばらくして戻ってくる。
「どうぞお入りください」
 チャールズとジェームズは秘書に案内されて教授室に入った。
「リチャード・ショーです」
 教授は椅子から立ち上がり、手を差し出した。
「FBI特別捜査官チャールズ・ブルームです。こちらはジェームズ・キャロル」
「どうも」
 ジェームズも手を差し出す。
「どうぞお座りください」
 ショー教授はソファーを示した。
「今日、お邪魔しましたのは先生のところに三年ほど前にいました研究生に関してなのです」
「どんな?」
「バクダッド共和国から受け入れておられたと聞いていますが」
「ああ、なかなか優秀な男でした。それが?」
「彼はどんな研究をしていたのでしょうか?」

 ショー教授の証言により、彼は研究室でゲノム解読の研究をしていたことが判明した。京泉教授の論文を読み漁り、研究室の設備を用いて追試をしていたようだ。彼は一年半前に帰国していた。状況的にはもっとも容疑が濃い人物であった。

 アジア人の方は、日本人と中国人、それに韓国人だけであった。北朝鮮からこの国に来るのは色々な外交事情を考えても無理があるのだろう。捜査はバクダッド共和国人に絞られた。FBIの捜査はここで終わった。あとはCIAの領分だ。まさかバクダッド共和国警察にFBIが出向いて捜査協力を依頼することなどできるはずもない。

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